【椋平虹】地震予知的中率驚異の86%。地震予知はすでに未知の領域ではない。
明日午前4時、首都圏に直下型地震が起きる
「明日午前4時ごろ、首都圏に直下型地震が起きます。
こんなニュースが飛び込んで来たらあなたはどうしますか?
逃げる?首都圏に住んでないから関係ない?銀行から金をおろす?
僕は両親や親戚、
可能ならこっちへ逃げてくるように声をかけます。
いずれにしてもこれくらい精度の高い地震予知ならば、
では、現在の地震予知はどういうものでしょうか?
2013年12月19日、
「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください。」 携帯から、テレビから、流れてくるあのメロディーーーーーー。
あなたはこの情報で適切な行動を取ることができますか?
僕の答えはNOです。ムリムリムリムリ。
あなたが本当に知りたい地震予知はこれですか?
「○月○日、○時頃、○○の地域に地震が来ます」
これが本当に必要としている地震予知ではないでしょうか。
地震予知は不可能である
地震予知とは、
「地震がいつどこでどれくらいの大きさで起こるか、発生時期・
ということらしいです。
厳密にいうと
「地震予知」は決定論予知、つまり「緊急地震速報」
「地震予測」は確率論予知、つまり「30年以内に70%の確率」
「地震予知は非常に困難である」とされています。
つまり
「明日大地震が来ますよ」
「1か月後に大地震が来ますよ」
と発表することはできない、ってことです。おーまいがっ!
地震予知 驚異の的中率86%をたたきだした人物がいた
しかし、過去に地震予知を実現していた人物がいたのです。
その人の名前は
椋平広吉。
その的中率はなんと驚異の86%!
椋平が初めて地震予知を成功を世に知らしめたのは1930年に起
北伊豆地震ーー1930年11月26日午前4時4時3分、
京都帝國大学の理学部部長、石野友吉博士の元に椋平からの「
『アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ』
当初、石野博士はこの報らせを気にも留めていなかったそうです。
しかし翌日、報らせの通りの地震発生ーー。
当たっとるやんけーーー!!!
その後も椋平は何度か地震予知を成功させます。
そしてこの椋平の地震予知という偉業は瞬く間に世界を駆け巡り、
椋平の偉業に世界の著名人たちが賞賛を送りました。
賞賛を送った著名人の中にはこんな人がいます。
ムクヒラすげえ!やったじゃん!おれらまじびびったよ!
天才物理学者も発明王も椋平の功績を讃えました。
日本に偉人は数多くいますが、
地震予知の方法
では、椋平広吉はどのような方法で驚異の的中率85%
椋平は京都府の宮津に住んでいました。
彼は雨の日以外毎日宮津港へ出向き、空を見つめました。
なんと地震の観測をするために椋平は空を観測したのです。
そして「虹」を探します。正確には「虹のきれはし」です。
「虹のきれはし」
この「虹のきれはし」
そしてこの虹のきれはしは「椋平虹」
そしてこの椋平の功績から世の地震学者をはじめ多くの人が椋平虹
しかし誰も椋平虹を観測することはできませんでした。
椋平から観測方法を学び、計算方法を教えられても、
そこには科学の基本である「再現性」は全くなかったのです。
そしてひとつの論文が発表されます。
『椋平虹が地震と直接的関係なき証明』
一人の学者が7年間椋平の観測につきあい、
内容はざっと以下の通り。
・虹の角度で震源地の方向がわかるというが、手に持ち、
・椋平による観測データでは『的中率86%』とするが、
・椋平虹は椋平にしか見えない。後援会の人間も、
そしてその事実が新聞などによって公表されると、
なーんだ、結局インチキか。
ただ、この間も椋平は虹の観測を続け、
椋平の支援者の元には地震の後、
ここで先の論文を読んだ地震学者が椋平に興味を持ちました。
的中率86%はインチキとしても、25%
ほどなくして瀬戸内海で地震が起こり、
地震学者は椋平に言いました。
「あのさ、地震が起きた後にはがきが来ても意味ないんだけど。
しかし椋平はこの要求を頑として拒みます。
あれ、これなんか怪しくね?
そこで一人の新聞記者が名乗りをあげます。
「これはなんかのトリックがあるに違いない。
てな具合で椋平の虹の観測そのものではなく、
するとすぐにそのトリックは暴かれました。
答えは簡単です。
椋平は自分の宛名を鉛筆ではがきに書き、
自分宛のはがきは当然自分に届きます。
するとどうでしょう。
あとは地震が起きた後、そのはがきに宛名を書き込み、
これで地震の起きる前の消印がついた地震予知はがきのできあがり
このことが新聞に掲載されると椋平の評判は地に落ちました。
そして椋平は全てを失いましたーーーー。
残された謎
今日も椋平は虹の観測に出かけます。
地震予知のトリックが暴かれ、全てを失った今も。
椋平は亡くなる直前まで虹の観測をやめなかったといいます。
なぜでしょう?
だって椋平の地震予知は単なるトリックなのでは?
本当は地震予知なんてできないんでしょ?
ここにトリックでは片づけられない事実があるのです。
実は椋平が世に知られるきっかけとなった北伊豆地震の予知は電報
北伊豆地震を報せた椋平の電報(出典:オカルト・クロニクル)
これだけではなく、1923年のあの関東大震災の時も椋平は同じ
残念ながら東大の理学部に送ったこの時の電報は火事により焼失し
電報でははがきのトリックはつかえません。
椋平は少なくとも一度は虹の観測による地震予知を行っていたので
この事実から導き出される可能性は2つあります。
1.椋平は地震予知を成功させていたが、的中率は低かった。
2.椋平の地震予知は完成されていた。
今となっては真相は闇の中です。
しかし、死の間際まで椋平が虹の観測を続けたことは事実です。
地震予知ができることを隠さなければならない人たち
2011年3月11日。
東北地方を超巨大地震が襲いました。
地震の後に押し寄せた津波、
実はこの地震は人工的に引き起こされたものではないかーーーー。
そんな話があります。
つまり世の中には地震を思い通りに起こせる人がいて、
というような仮説を導くこともできます。
では、
それはまた別の機会にお話しましょう。